食事よりも人間が主役

群像劇が主題

食堂、いわゆる飲食店を舞台にした作品には大抵料理が付きものだ。作品を盛り上げる小道具の一種、そう言っていいでしょう。もちろん実際に食べてこそのものなのだ、正直いくらフィクションだからと料理を無碍な扱いをする場面ほど見苦しい物はない。注意書きに『後でスタッフが美味しく頂きました』と記されても、説得力がない。料理は食べてこそ人を幸せにするものだと、個人的に考えているからだ。

こちらのつむじ風食堂の夜でもまた、食事をしているシーンが連続します。美味しそうに食べている、というよりはどちらかと言うと登場人物たちの心理描写が優先されていた。元々原作でも作中の人物たちによる言い回し・雰囲気が重宝されている作品とだけあってか、長々としたセリフ回しが独特となっている。一般的な食が中心となっているはずの映画にすれば、過去に前例がない作風と言えるでしょう。

原作を忠実に再現しているとはいえ、先生たちを引き合わせたのは間違いなく街角にある食堂だ。街中にある食堂とそこに集う人間情緒豊かな情景は、かつて日本で栄えていた大衆食堂を髣髴とさせるものです。懐かしいと感じる人もいるでしょう、現代で生きる人にとっては感傷するには材料が足りないかもしれない状況かもしれません。ただ一点感じ取って欲しいことといえば、食堂の人々から得る影響で変わっていく人々の心理変化だ。

大衆食堂の状況

作品は確かに面白い、しかしながらそこが残念だと語る人も実際にいます。どういうところが残念かといえば、『登場している料理があまり美味しそうではない』と述べている点があります。その点については色々意見はあるかもしれませんが、賛同する人も多そうだ。せっかく食堂を舞台にしているのだから、食を通した人間関係をより重厚にするべきではなかったのかと、そう考えている人も多いよう。

それもそうかもしれません、おいしい食事は豊かな人間関係を作り出すとも言えるからだ。かつての大衆食堂でもあったように、美味しいお酒に美味しい料理があれば自ずと笑顔になれます。食にこだわらないからどうでもいいとはいいますが、まずい食事を美味しいと思えるほど頑強ではないはずだ。良薬口に苦しなどというものは病の期のみで十分だ、そう訴える人もいるだろう。

食堂での食事にこだわるのではなく、あくまで先生を中心とした食堂に訪れる人々との交流が今作のウリでもある。その点がタイトルに惹かれて劇中でどんな料理が出てくるのが楽しみだった、という人には物足りない映画であったかもしれません。

食にこだわりたくなる時もある

どうしてそこまで食事にこだわるのだろう、そんな疑問を持つことはあるでしょうか。こだわりがない、食べて生きていけるだけの活動力があればそれで十分だと考えている機械的な思考の持ち主もいると思う。筆者個人の意見としては食事にまでそこまで習慣じみた動作は求めたくない、食べることをそこまで蔑ろにはしたくないと考えている。

実際食事について色々調べてみると、切実に悩みとして抱えている人を見かけるからだ。例えば所帯持ちの男性にすれば、いつも家で支度をして晩ごはんを作ってくれるという、ありがたい状況にしてもそう。美味しいご飯ならいい、だが現実はあまくないと言わんばかりに危機に瀕している人もいます。

  • ご飯を作ってくれるのはありがたい、けれど美味しくない
  • 向上心を持って色々アレンジをしてくれる、しかし味音痴

ケースは色々だが、元々料理が苦手な場合は克服できるよう協力する必要はありますが、問題はなんといっても味だ。

見た目最高、味最悪はかなり来ます

料理について見た目こそ美味しそうに見える、しかし実際口にしてみると味がトンデモナイ斜め上を超えた180度想像していたものと違っていた場合は心身ともにダメージは計り知れません。こうした部分はその人の料理環境がどのようなものだったかに左右されますが、元来味音痴という人もいます。味音痴となると矯正するのに時間が伴うため中々上手くいきませんが、やはり見た目いいのに中身最悪では残念すぎる。

同じように作っているのに同じ味にならない、それは良くある話だ。料理に対するこだわりでも、まだ平均的に許容できる味に仕立てられるかが料理の肝だ。映像では味覚的な部分は伝わりませんが、見た目からして美味しそうというのが伝わらないと、飲食店を舞台にした作品なのに勿体無いと嘆く人もいる。

人間が成長する物語

この作品に料理の素晴らしさを期待する、という点は正直求めない方がいいかもしれません。では何を求めるべきかといえば、食堂で培われる人間関係により自身を成長できる一幕に焦点を当てるべきだ。主人公の先生も食堂の個性豊かな常連客と接することで、今と昔そして未来の自分と向き合えるようになっていく。成長する事はいくつになってもできる、忘れていた事を呼び起こしていくことで得られるものがあると伝えているのかも知れません。